華やかなスパイの厳しい現実を感じられる物語、小説『潜入――モサド・エージェント』(エフタ・ライチャー・アティル)

 スパイがスパイになる前から、スパイになって潜入、そして、その後までがじっくりと描き出されていました。

「父が死んだわ。父が死んだのはこれで二度目よ」かつて敵国の首都に長期潜入していた元スパイのレイチェルが、この言葉だけを残して失踪した。モサド本部はパニックに陥る。機密情報を知る彼女を連れ戻さなければならない。だが今は引退した工作担当者のエフードにもレイチェルの意図はまったく不明だった。彼女の真実はどこにあるのか? 元・イスラエル国防軍情報部隊准将の著者が生々しく描き出す現代スパイ戦の内幕
(小説のあらすじより)

 一見、華やかに見えるスパイはジェイムズ・ボンドの「007」シリーズからイメージされるものでしょう。しかし、スパイの現実はそんな華やかでもなく、地味なもの。そして、普通の生活では考えられない孤独さと恐怖があるのを、物語から感じられました。
 一般人がスパイになって、潜入し、その後の展開までを追う内容となっていました。物語は、回想が多く、スパイのイメージの華やかなアクションや戦闘シーンはあまりありません。そのかわり、スパイの厳しい現実が伝わってくる内容になっていました。

 スパイになる前から、訓練して、スパイになって、潜入して、スパイのその後までを描いた内容を物語として興味深く読めました。

 その「スパイの厳しい現実」をこんな感じで表現していました。

・飛行機に乗り、シートベルトを締めて、あたりを見回し、飛行機が敵国の首都へ向けて離陸すると、一人ぼっちであることを思い知らされるでしょう。

・いつなんどきドアがノックされ、そこに男が立っていて、彼女を連行するかもしれない、という不安。時間が経てばそうした感覚には慣れていくものだ。例えば船乗りだって、船底の下に広がる海の深さをずっと考えていたら仕事ができない。与えられた不安の条件として、危険と共存していくことを学んでいけるはず。入念に準備をして訓練を重ねても、尋問の実地演習をしてさえ、それは現実とは違う。そこにある危険は本物であり、諜報員は孤立無援で立ち向かわなければならないから。ホテルの部屋に入り、ドアを閉めて沈黙に包まれると、誰かに監視されているのではないかという感覚が不意に頭をよぎる。最初のうちにその感覚を経験しておき、そういうものだと思わなければいけない。君はそうした環境で活動するのであり、見たいのなら見ろ、私は全く気にしないという気持ちで臨むのだ。

・何もかも順調に運んでいます。しかし不安というものは絶えずつきまとうものです。彼らが私のパスポートを写真に撮影していたら、どうするだろう? それを調べて、不審な点を見つけ出すことができるかしら? 私の身元の裏づけを取ろうと、カナダに連絡していたら? もしも明日街中で、私に見覚えがある人に出くわしたらどうしよう? テルアビブを訪れたことのある無邪気な観光客が、たまたま中東ツアーでこの街を訪れて、私に声をかけてきたら? 私が任務に失敗したら、いったいどうなるの?

・誰一人として、彼らがホテルの客室でいかに不安にさいなまれ、昼夜どんな思いを抱えて過ごしているのか、あるいは何年も偽の身分になりすましてきた後、祖国に帰還してからどんな暮らしをするのか、伝えてはいない。
 彼らスパイたちは、本当に思っていることは伝えません。彼らにとっては、四六時中が任務なのです。彼らはそうした環境に順応し、そのために訓練されてきたのです。現場で彼らが熟練した手際で偽の身分になりすますように、彼らは時間の経過と共に、見せたい側面だけど我々に見せることを覚えます。彼らは、我々が彼らの身の安全を心にかけていると信じていますが、同時に我々の望んでいるものを熟知しており、望み通りのものを届けようとするのです。

・必要な情報を入手する能力があり、招かざる道連れから逃げるすべも忘れていなかったが、それに気づいたところで、うれしくなかった。かつての才能は失われていなかったが、まさにその才能のゆえに、彼女は渇望して当たり前の日常生活から遠ざけられてしまったのだ。その才能のせいで、彼女はうっかり間違いを犯すことも、癇癪を起こすこともできなかった。そのせいで、彼女は一般市民から享受する特権を受けられないのだ。一般の人々は、分からないことがあれば訊き、腹が立てば怒り、楽しければ声を上げて笑う。しかし彼女はあらゆることを前もって考え、一挙一動を計算せずにはいられない。そして、決して目的を見失うことがない。情事を求める者のように、あるいは罪を犯そうとする者のように。レイチェルは受付の係員を見た。

(小説より)

 イスラエル国防軍の元情報将校エフタ・ライチャー・アティルが、自身の経験を反映させて書き下ろしたThe English Teacherの全訳で、オリジナルはヘブライ語で書かれているそうです。作者は、4冊の小説を上梓しており、その3冊目にあたる本書になるみたいです。