書くことが考える力を深化させる、『「考える力」をつける本』(轡田隆史)

 「考える力」をつけるためにすることは、実はシンプルなことばかりのように思いました。

理解の深い人、頭の回転が速い人
◎観察は常に小さいもの、身近なものを出発点に
◎「量の読書法」「質の読書法」
◎「なぜ」こそ考える力の最も大切な原動力
◎忙しいときほど遊んでみる
◎ときには「当たり前の言葉」も辞書で引いてみると――
◎情報収集は「集中豪雨方式」がいい……

(本の帯より)」

 「考える力」ということは、一体どういうことなのか? 簡単なようで意外と難しいもの。「考える」ということの方法なり、筆者から様々なヒントが書かれていました。
 社会的な出来事や業界のちょっとしたことについては、「なるほど」とさせられ、ちょっとした具体的なヒントも多く書かれていました。

 興味深かった内容は、

・「ゆとり」を持てない人にいい仕事はできないということ。

・仕事で行き詰ったら、「目的」から一時的に離れることが大切だと。それには代償を求めない無償の行為に転換しなければならないと。つまり、代償を求めないという純粋な気持ちやリラックスさが良い効果を与えてくれると。

・「情報」や「資料」というゼッケンを付けていない情報や資料こそ重要だということ。

・お役所や警察が調べるまでは、なかなか記事にしないという悪い癖が記者にはあるそうです。「客観性」を求めるあまりのことでもあるし、もちろん、事件や事故の原因や容疑者について、記者の調べだけで書くわけにはいかないのだけれども、習い性になって、何ごともお上の「お墨付」がないと書けないということにもなりがちだそうです。

翻訳の良し悪しについて、訳者の名前は覚えておいて、次に活かすこと。逆に、とてもいい翻訳を楽しんだ時には、これも訳者の名前を心に刻んでおこう。

「書くこと」は「読むこと」になるということ。
 自分の文章を読みながら書き進めるのが、「書く」という作業になる。観察はほとんど必然的に「批判」の心を呼び起こすため、「思ったこと」や「考えたこと」の浅さや甘さを、書いた瞬間に思い知らされるということになる。

「書くこと」は、「思うこと」や「考えること」をさらに深化させる、自分自身の心の奥への小さな旅になるということ。その旅によって、人は、新しい自分を、新しい自分の「考え方」、「ものの見方」を発見することになる。

書くように考える、ということのヒントとして、①観察を大切にすること、次に、②なぜ? という自問自答を繰り返すこと。

・「なぜだろう?」と問いかけてゆけば、思い出の中から、書くに値する何ものか、つまり、自分自身が本当に「考えたこと」、「考えなかったこと」が立ち現れてくる。
 「なぜ?」と問いかけ続けることによって、枝葉末節は整理されて、その底から、「考え」の本質ともいうべきものが、ゆっくりと姿を見せてくる。

・何でも自由にということで困るなら、自分で自分に「制約」を課せばいい。「制約」が、はじめ自分では気づいていなかった、自分自身の「考え」へと導いてくれる。

・詩こそ長さ。
 詩にも長短はありますが、散文と比べれば普通は短い。短いがゆえに、いい詩は「芸」の極みであり、言葉は厳しく選びぬかれて、互いに照り映えている。

・情報は「情報」という名札をつけて、そこらに転がっているものではない。人間が、その気にならない限り、「情報」というようなものはない。

・①社会や組織の中に生じる毒ガスを鋭敏にかぎとるように努める。
②想像力の大切さを自覚しよう。
③自分自身を笑える人でありたい。
④組織から抜け出して、他の組織を観察せよ。
⑤マナーの人であれ。
⑥自腹を切って遊べ。
⑦詩を読む人であれ。
⑧歴史を学ぶ人でありたい。
⑨ユーモア精神こそ、人間の精神で最も大切なものの一つ。
⑩現状の認識についてはやや悲観的に。しかし、未来と将来の展望については楽観的に。

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